最近“頑張れ”という言葉が嫌いという人が増えてきたように感じます。
頑張れという言葉は本来ポジティブなイメージであり、普段人を応援する時に何気なく使っている言葉なだけに「なんで?」と考える人もいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし現実には
放送禁止用語となったとの噂もあり嫌いだと思っている人がいるというのは間違いないようです。
実際、私もあまり好きではなく日ごろからあまり使わないようにしていますが“頑張れ”という言葉はなぜこんなにも嫌われる言葉と
なってしまったのでしょうか?
目次
“頑張れ”が嫌われる理由
“頑張れ”という言葉が嫌いという理由は様々あり、純粋に応援したいという気持ちから発せられた場合においても、相手の状況によっては負荷をかけてしまったり反感をかうことがあるようです。
まずはどのような理由でこの言葉が嫌われているのかを考えてみましょう。
1.評価されていないと感じる
自分なりに頑張っている時に「頑張って」と声をかけられると「もう頑張っているんだけどな…」と評価されていないように感じることがあります。
とくに相手が上司など自分より上の立場にいる人に言われると「自分はこんなに頑張っているのに頑張っていないように見えるのか…」
と落ち込んでしまう人や「いつも頑張ってるのにたまに見に来て言うことはそれかよ!わかってないな」とムッとしてしまう人もいます。
2.プレッシャーに感じる
自分でもわかっている時や緊張している時に「頑張って」と言われると逆にプレッシャーに感じて萎縮してしまうことがあります。
他人の期待に応えたいと考える人は「頑張って」という言葉を深く受け止めがちであり、「頑張らないと!」と自分を追い込んでしまうことによって重荷と感じてしまうようです。
3.冷たく感じる
何かを相談している時に「頑張って」と言われてしまうとなんだか冷たい人だと感じることがあります。
不安な気持ちをわかってほしいと考えている人やなにかアドバイスが欲しいと感じている人になんの解決にもならない「頑張って」という言葉を安易に投げかけてしまうと「しょせんは他人事か、冷たい人だな」と思われてしまうことがあるようです。
4.無責任に感じる
なにかを依頼してきた人や、一緒に頑張るべき人に「頑張って」と言われると無責任に感じることがあります。
部下や同僚に「これやっといて」と指示を出し「じゃ、頑張ってね」などと言って立ち去ると、指示された方には「投げっぱなしかよ無責任な」と感じる人もいるようです。
頑張れという言葉はもう使わない方がよいのか
頑張れという言葉は日本人なら誰もが知っている言葉であり色々なシーンで多用されたことによって色んな解釈ができる便利な言葉として浸透してしまいました。
「ヤバイ」という言葉もそうですが便利に使われている言葉というのは本来の意味以上にたくさんの解釈がありそれだけ相手に想像の余地を与え、時には誤解を生むことがあります。
ただ私は“頑張れ”という言葉を使わないようにしましょうと言うつもりはありません。
なぜなら自分自身も「頑張れ」という言葉があまり好きではなく多用することはありませんが逆に頑張れと言ってほしいと感じることも
あるからです。
少し矛盾しているようにも思えますが、私の場合は「よし!頑張ろう!」と燃えている時に「無理しないでね」と言われるよりも「頑張れ!」と言われる方が気持ちが前向きなりより力を発揮することができます。
これを考えると一概に悪い言葉だとは言えず、相手によってうまく使い分けることができるなら気にせず使えばよいと考えます。
では放送禁止はやりすぎなのか
この記事を書く元となったのは“言葉の裏シリーズ”のネタを考えているときに何気なく検索をしていると“頑張れ”が放送禁止になったという記事を発見したからです。
私自身は上述したとおりこの言葉を使わないほうがいいとまでは思っていませんが、放送禁止になったというのはすこし共感できる部分があります。
なぜなら1対1の会話の場合ならば相手がひとりなのでその都度言葉を選ぶということもできます。
しかし、ブログもそうですがテレビやラジオ、新聞、雑誌など一方から多数にむけて情報を発信するという場合において、曖昧な表現や悪い意味にとられがちな表現というのは使いたくない、または使わないべきというのは当然と言えば当然の考えだと思います。
そこまでする必要があるのかと考える人もいるとは思いますが、なにかと叩かれがちな現代では仕方のないことなのかもしれません。
この記事のまとめ
今回は“言葉の裏シリーズ”として頑張れという言葉が嫌われる理由や使うべきか使わないべきかということをご紹介しました。
何年か前にうつ病の人には言ってはいけないという記事をどこかで読んだことがあり、そのころから私もなんとなく使うことをさけてきた言葉ではありますが未だに「気にしない派」と「使わないべき派」に分かれているようです。
もともと言葉のとらえ方や意味というのは時代によって変化することがありますが、もしかすると私たちはその変化の真っただ中にいるのかも
しれませんね。
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