過程と結果どちらを重要視するかは仕事の内容や状況によって様々ですが、どちらかと言えば仕事というのは結果を求められるものだという印象があります。
そこで「結果がすべて」という言葉を聞いたときあなたはどんな印象を受けますか?
この言葉は言われるタイミングや状況によって称賛、否定、警告などさまざまなとらえ方ができます。
他人が発した言葉の裏というのは主観的になっているとなかなかその真意に気づくことができません。
ただ、逆に言えば、もしうまく真意をくみ取ることができればあなたにより良い結果をもたらす魔法の言葉となる可能性があります。
「結果がすべて」の裏を読む
「結果がすべて」
この言葉は状況やタイミングによって意味がかわることばというのを先述しましたが、例をあげてもう少しわかりやすく説明しましょう。
例えば過程で失敗はしたがきちんと結果を残せた時に「結果がすべてだよ」と言われた場合「結果がすべてだから大丈夫だよ」という称賛や慰めの意味で使われることがあります。
そして反対に結果がでなかった時に「結果がすべてだよ」と言われた場合「結果がすべてなのに何をしている!」という思いから発せられる可能性が高く、詰めの甘さや結果が残せていないことへの批判の意味でも使われることがあります。
これらの例はどちらも結果がでた後に言われた場合の話ですが、今回の記事のタイトルが“結果が出る前に「結果がすべて」と言われたら一度立ち止まって考えるべき”となっている通り、今回の焦点は結果が出る前に言われたら?というところです。
結果がでる前というのはまだ誰にも結果が見えていないという状況であり、自分の考えではよい結果が出ると思っていても他人の視点からみれば「失敗しそう」という懸念があり“警告”という意味でこの言葉を投げかけられることも少なくありません。
だからこそ結果が出る前に「結果がすべて」という言葉を耳にしたときには、どれだけ好調に思えてもすこし立ち止まって考える必要があると私は考えます。
「結果がすべて」に隠された考えられる真意
この言葉は結果が出る前に言われたからと言って必ずしも“警告”だと受け止める必要はありません。
はたから見て十分に結果が出そうなのにそれでも心配しているあなたを見て「結果がすべてだから大丈夫」と頑張りを認める意味で投げかけられている可能性もあるからです。
ただし、明らかに“警告”として発せられている場合にこれをスルーしてしまうというのは良いこととは言えません。
そんなわけで今回は「結果がすべて」と言われた時に“警告されている可能性がある状況”を4つご紹介しましょう。
思考が停止している
“思考停止”
つまり何も考えていないということですが仕事において思考停止というのは致命的なミスを生んだり、それ以上成長ができなくなったりと
悪い結果を生む原因となります。
言われたことを言われたとおりにだけやっているなどと言う場合は基本的に思考停止してることが多く、深く考えずに作業をしているという可能性があります。
そしてマニュアル通りの作業や繰り返しの作業というのも慣れてくると“オート”で作業できるようになってしまい思考停止状態に陥りやすく
なるのです。
本当になにも考えていない場合たとえその手順が合っていたとしてもイレギュラーな状況や突発的なトラブルによって思わぬミスが発生してしまいます。
もし、あなたが「いつも通りやれば大丈夫」と思考停止状態で仕事をしている時に「結果がすべて」と言われた場合はあなたには見えない危険が間近に迫っているのかもしれませんよ。
まわりから「ほら言わんこっちゃない」と言われる前に停止した思考を動かすようにしておきましょう。
思考停止を脱却するにはとにかく工夫することが大事です。ミスをしたなら再発防止策を考え工夫していくことで過程と結果の向上につながります。
余裕を持ちすぎている
「もう楽勝」そういって足元をすくわれたり思わぬ落とし穴に落ちた人を私は何度も見たことがあります。
余裕というのはとても大切なものですが、余裕を持ちすぎるというのもなかなか考えものです。
とくに状況が変わる可能性がある場面では結果が出るまで気を抜いてはいけません。
そしてあなたがそうは思っていなくてもまわりからは気を抜いているように見えているからこそ「結果がすべて」だと警告されている可能性があります。
カメに負けたウサギのようにならないよう、大丈夫だと思っていても状況が変わる可能性があるならしっかりアンテナを張り、結果が出るまでは余裕に浸りすぎないように気を付けましょう。
余裕があるときこそ周りをよくみるように心がければそうそう想定外のことというのは起こらないものです。
テングになっている
警告の意味で「結果がすべて」と発せられる場合このうぬぼれが原因ということも少なくありません。
テングの鼻というのは折れてみないといかに自分がうぬぼれていたのかということに気づくことができず周りからの警告というのはなかなか耳に入ってこないものです。
私自身、幾度となくうぬぼれ鼻を折られるという経験を繰り返してきていますが、とくに気を付けないといけないのは少ない経験からの経験則と根拠のない自信です。
自信がまったくないというのも問題ですがあまり根拠のない自信だけで突っ走ってばかりいると痛い目に合う可能性が高く、その姿はまわりに不快感を与えることもあります。
そうすると当然失敗したときに厳しく責め立てられたり誰もフォローをしてくれないという最悪の状況に陥る可能性もあり、失敗してから反省したところで貼られたレッテルはなかなか払拭できないものです。
うぬぼれやビックマウスというのはあまりにひどいと信用を失うことがあり、それは時に取り返しのつかない状況に自分を追い込むことに繋がります。
手段を間違っている
「あぁあの人すごく頑張っているけどそうじゃないんだよなぁ」そんな想いを他人に抱いたことはありますか?
世の中には驚くほど不器用な人がおり過程を追い求めるあまり結果をおろそかにしてしまう人もたくさん存在します。
質ではなく結果を重視される作業において過程にこだわりすぎている場合や他人に空回りしていると感じさせる場合というのはあなたの求める結果と全体の求める結果がすこしズレている可能性があります。
自分の納得いくまで質を高めるということやがむしゃらに頑張るというのは悪いことではありませんしかし、状況によってそれではいけないということが仕事の中にはあるということも真実です。
「すごく頑張っているのはわかるけど結果がすべてだよ」という想いは否定的な警告ではなく頑張っているのはわかっているからこそ、この言葉を選んでいるのかもしれません。
もし少しでも思い当たるのであれば求める結果にズレがないか慎重に考えなおしたり時には他人の意見に耳を傾けてみましょう。
完璧主義な人ほどこの状況に陥りやすく、それは決してわるいことばかりではないですが常に最善の結果を得るためには状況を見極め目も必ず必要です。
この記事のまとめ
いかがだったでしょうか?
ひとつの言葉にはこれだけの意味があり今の状況に適した解釈は何なのかということを考えるのはとても難しいことです。
言葉の裏を読むときはどうしてもネガティブにとらえてしまうことが多くあれこれ悩んでしまうくらいならいっそ何も考えないほうが良いという意見も多々あります。
ただ、私は状況によって使い分けるべきだと考えますし、そこに“今より良くなる可能性”があるのであれば積極的に取り入れるべきものだと思っています。
結局言葉の裏というのは言葉を発した本人にしかわからないことであり、直接聞く以外にそれを知る方法はありません。
しかし大切なことはその真意を追い求めることではなく、そこから導き出されるものをどれだけ活かすことができるかということだと思います。
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